[1]700珀年昔、「徒然草第72段 賎しげなるもの」で、ミニマリストっぽいことを記した兼好法師
1.「徒然草第72段いやしげなるもの」を現代語訳する。
2.真面目な話・漫談・怪談を行う。
3.徒然草第72段のすべてを品詞分解し1語1語現代語訳する。
4.古文の1語1語訳は日本語習得に役立つ。
5.筆者の、ヘタ写真、ウッと言うほど稚拙な漫画を、随時挿入する。
2010/11/02 14:34 撮影
神奈川県中郡にて
1、「徒然草第72段 賎しげなるもの」の現代語訳
本文
いやしげなるもの。居るあたりに調度の多き。硯に筆の多き。持仏堂に仏の多き。前栽に石・草木の多き。家の内に子孫の多き。人にあひて詞の多き。願文に作善多く書きのせたる。多くて見苦しからぬは、文車の文、塵塚の塵。
現代語訳
いやしげ(下品な様子)なる(である)もの(もの)。
居る(座っている《所》)あたり(辺り)に(に)調度(手回り道具類)の(が)多き(多い《こと》。
硯(硯箱)に(に)筆(筆)の(が)多き(多い《こと》)。
持仏堂(仏間)に(に)仏(仏像)の(が)多き(多い《こと》)。
前栽(庭の植え込み)に(に)石(庭石や)草木(草木)の(が)多き(多い《こと》)。
家(家)の(の)内(中)に(に)子孫(子孫)の(が)多き(多い《こと》)。
人(人)に(に)あひ(会っ)て(て)詞(言葉)の(が)多き(多い《こと》)。
願文(願いの趣旨)に(に)作善(自分がした善い行為を)多く(多く)書きのせ(書き記し)たる(ている《こと》)。
多く(多く)て(ても)見苦しから(見苦しく)ぬ(ない《の》)は(は)、文車(文車)の(の)文(書物)、塵塚(ゴミ捨て場)の(の)塵(ゴミ)。
=下品なもの。身の回りに調度品が多いこと。硯箱に筆がたくさんあること。
仏間に仏像が多いこと。
庭の植え込みに庭石や草木が多いこと。
家の中に子孫が多いこと。人と会って口数が多いこと。
願いの趣旨に自分がした善い行為を多く書き記していること。
たくさんあっても見苦しくない物は、文車の書物とゴミ捨て場のゴミである。
→「徒然草第72段いやしきもの」の1語1語品詞分解・1語1語現代語訳は、「3、72段のすべてを品詞分解し、1語1語現代語訳(直訳)する」にあります。
2、真面目な話・漫談・怪談
ピタゴラス親分:画面右下の人間の顔は誰の物であるか?
タイガードラマン:ヒルドラマンガン殿の物であります
信長大殿様とヒルドラマンガン氏 作成:筆者
信長大殿様:う~ん。
ピタゴラス親分:兼好法師にはミニマリストっぽいところがないとはいえん。
文屋康秀子分:ア奴は「たくさんあっても見苦しくない物は、文車の書物とゴミ捨て場のゴミである」と抜かしています。
ヒルドラマンガン:ゴミ捨て場のゴミだぜ、親分。
業平:これじゃお金が溜まらんでしょうが。
※「抜かす(ぬかす)」は、「言う(いう)」の卑語。
※卑語(ひご):卑しい(=賎しい・いやしい)言葉。下品な言葉。
業平:物を粗末にして、
松永弾正久秀:買っちゃポイ買っちゃポイ、
清盛:でもしなきゃゴミダメは満タンにならんよ。
→「ならん」については付記参照
鴨長明:庭先のゴミダメのゴミは幾らあったって見苦しくないと抜かしているのでございますからね、兼好法師のヤロウ。
ミトコーモン:はあ。
タイガードラマン:あのお、
秀吉:ん?
アサドラマンボ:兼好法師は、「徒然草第184段・相模の守時頼の母は」で、「世を治むる道、倹約を本(もと)とす(=世を治める道は、倹約を基本とする)」とおっしゃっているのでございますが。
兼好法師:いいかげんにしろっ、だまれッ。
付記 「ならんよ」「ならん」について
※ならんよ=ならぬよ=ならないよ
※ならん=ならぬ=ならない
ならぬ=ラ行四段活用(口語では五段活用)動詞「なる(=なる)」の未然形「なら」+打消しの助動詞「ず(=…ない)」の連体形「ぬ」
上記打消しの助動詞「ず」の連体形「ぬ」について
ぬ:打消しの助動詞「ず(=…ない)」の連体形「ぬ」を終止形として用いたもの。
→「ならんよ。」「ならぬよ。」「ならん。」「ならぬ。」の「ん」「ぬ」は、終止形として用いている。
→「ん」は、「ぬ」の音が「ん」の音に変化したもの。
兼好法師:うるさいッ。
終止形とは
文を終止する(打ち止めする・言い切る・完結する)形。
→付記「祇園精舎の鐘の声(平家物語)」参照
次の文(祇園精舎の鐘の声)の中には終止形の単語が5つある。↓
付記 祇園精舎の鐘の声(平家物語)
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。(平家物語・巻第一・祇園精舎・ぎおんしょうじゃ)
※あり:ラ変動詞「あり(=ある)」の終止形。
※あらはす(あらわす):サ行四段活用動詞「あらはす(=露にする)」の終止形。
※ず:打消しの助動詞「ず(=…ない)」の終止形。
※ごとし(如し):助動詞(ク活用)「ごとし(=…のようだ)」の終止形。
※同じ(おなじ):形容詞(シク活用)「おなじ(=同じである・等しい)」の終止形。
=祇園精舎(祇園精舎)の(の)鐘(鐘)の(の)声(音)は(は)、諸行(この世に起こる一切の現象は)無常(常に生滅・変化し、不変のものは何一つ無い)の(という)響き(はかない余韻が)あり(ある)。
沙羅双樹(《釈迦の死を悼んで白く色褪せた》沙羅双樹)の(の)花(花)の(の)色(色は)、盛者(権勢をほしいままにする者も)必衰(必ず衰える)の(という)ことわり(《この世の》道理)を(を)あらはす(あらわす)。
おごれ(驕り高ぶっ)る(ている)人(人)も(も)久しから(長くは続か)ず(ない)、ただ(まるで)春の夜の夢(春の夜に見る《儚い》夢)の(の)ごとし(ようである)。
猛き(勢いの激しい)者(者)も(も)つひに(最後に)は(は)滅び(滅び)ぬ(てしまう)、ひとへに(まったく)風(風)の(の)前(前)の(の)塵(塵)に(と)同じ(同じである)。
=祇園精舎の鐘の音には、この世で起こる一切の現象は常に生滅・変化し、不変のものは何一つ無いという果敢ない余韻がある。
釈迦の死を悼んで白く色褪せた沙羅双樹の花の色は、権勢をほしいままにする者も必ず衰えるという此の世の道理をあらわす。
驕り高ぶっている人も長くは続かない、まるで春の夜に見る儚い夢のようである。
勢いの激しい者も最後には滅びてしまう、まったく風の前の塵と同じである。
兼好法師がこの世に居たころ
兼好法師がこの世に居たころは、電気もない、車もない。現代人にとって便利なものは殆ど何も無いといっていいくらいの世界である。
そうした中にあって兼好法師は、「下品なもの。身の回りに調度品が多いこと。硯箱に筆がたくさんあること。仏間に仏像が多いこと。庭の植え込みに庭石や草木が多いこと。家の中に子孫が多いこと。人と会って口数が多いこと。願いの趣旨に自分がした善い行為を多く書き記していること。たくさんあっても見苦しくない物は、文車の書物とゴミ捨て場のゴミである」と記しているのである。
無い方がいっそう愉快だったりして。
兼好法師:ミロ。
当時は、文字の書かれた和紙の反対側(文字の書かれていない方)も利用した。手紙も同様である。誰かから来た手紙の、未使用の面を再利用したのである。
紫式部から清少納言に手紙が来たとする。そのわけは↓。
紫式部:紫式部日記を清書しているときに、不意に脳天が奇怪になっちゃって、紙を丸めてくしゃくしゃにして、ポイって、投げ上げたの。
紫式部:するとその紙団子は、あたしの脳天真ん中のツボに落下して、みょうな弾みが発生したのでございますわね。あー。
鴨長明:いー。
平賀源内:えいくそ。
紫式部:ハッとなって、ポイしたそれを慌てて拾って、反対面の白紙を使って、清少納言にシワシワ手紙を書き始めたのね。
紫式部:こらッ。
あなた:はいっ。
そういうわけですからね、その手紙は、紫式部日記の一部分です。紫式部は、紫式部日記を、まっさらな和紙に清書していたのです。したら、なぜか、その真っ最中に、紫式部脳は、怪奇脳になって突如、和紙を引きちぎり、丸めてポイって、天井に投げ上げたのです。するとその紙団子は紫式部さまの脳天に落下しました。そのしゅんかん紫式部脳は妙な弾み脳になって、キャッと叫んで、怪奇脳に至ったわけが分かったのです。紫式部は手を伸ばしました。いったんゴミ化した紫式部日記の一部分を拾い上げました。和紙のシワシワを伸ばし、「そうかあ」「そうよねえ」と悦に入って、白紙の側を使って、紫式部は清少納言へ、手紙を書いたのです。
清少納言:わわわ、こっち側も面白いわ。
清少納言が「こっち側も」といったのは、紫式部日記の方です。
コレです。↓
コレ(「紫式部日記 清少納言こそ」の本文・現代語訳)は、私の別のブログからのものです。
紫式部日記 清少納言こそ(ここは、私の別ブログから転載)
本文
清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人。さばかりさかしだち真字書きちらして侍るほども、よく見れば、まだいとたへぬこと多かり。かく、人にことならむと思ひこのめる人は、かならず見劣りし、行くすゑうたてのみ侍れば、艶になりぬる人は、いとすごうすずろなるをりも、もののあはれにすすみ、をかしきことも見すぐさぬほどに、おのづからさるまじくあだなるさまにもなるに侍るべし。そのあだになりぬる人のはて、いかでかはよく侍らむ。
現代語訳
清少納言(清少納言)こそ(は・こそ)、したり顔にいみじう(ひどく得意顔で)侍り(おりまし)ける(た)人(人《であります》)。
さばかり(あんなに)さかしだち(かしこぶり)真字(漢字を)書きちらし(書き散らし)て(て)侍る(おります)ほど(《学識の》程度)も(も)、よく(よく)見れ(見る)ば(と)、まだ(まだ)いと(それほど)たへ(その道に通じてい)ぬ(ない)こと(ことが)多かり(多い《のでございます》)。
かく(このように)、人(人)に(と)ことなら(異なろ)む(う)と(と)思ひ(思い)このめ(望ん)る(でいる)人(人)は(は)、かならず(必ず)見劣り(見劣り)し(し)、行くすゑ(行く末は・将来は)うたて(ひどいこと)のみ(ばかり)侍れ(あります)ば(のに、《一体どうしてそんな考えを起こすのでしょう》)、
艶に(雅っぽいさまに)なり(出来上がって)ぬる(しまった)人(人)は(は)、いと(ひどく)すごう(荒涼として寒々しく)すずろなる(《そうする》理由が無い)をり(とき)も(も)、もののあはれ(物の情趣)に(に)すすみ(調子づいて進み)、
をかしき(怪しいこと、笑いたくなるような)こと(こと)も(さえも)見すぐさ(見逃さ)ぬ(ない《ようにして》いる)ほど(うち)に(に)、おのづから(自ずと)さるまじく(そうであってはならない)あだなる(実の無い)さま(有り様)にも(にも)なる(なるの)に(で)侍る(ございま)べし(しょう)。
その(その)あだに(軽薄に)なり(仕上がっ)ぬる(てしまった)人(人)の(の)はて(行く末は)、いかで(どうして)よく(よく)侍ら(ありま)む(しょう)かは(か、いや、よい事など決してない)
→「いかでかは」の「かは」は、「侍らむ」の下に移して訳す。
=清少納言は、ひどく得意顔でいた人であります。
あんなにかしこぶり、漢字を書き散らしております(学識の・脳天の)程度も、よく見れば、まだそれほどその道に通じていないことが多いのでございます。
このように、人と異なろうと思い望んでいる人は、必ず見劣りし、行く末はひどいことばかりありますのに、(いったいどうしてそんな考えを起こすのでしょう)
(そうして)雅っぽいさまに出来上がってしまった人は、ひどく荒涼として寒々しく、(したがって、そうする)理由が無いときも、調子づいて物の情趣に進み、
怪しいこと、笑いたくなるようなことさえも見逃さないようにしているうちに、自ずと、そうであってはならない実の無い有り様にもなるのでございましょう。
そのように軽薄に仕上がってしまった人の行く末は、どうしてよいでしょうか、いいえ、よい事など決してないでしょう。
清盛:あのお、清少納言さま。
清少納言:はい?
業平:手紙の方はどんなでした?
手紙
清少納言へ
書くのがめんどくさくなっちゃったの。
だから出すわね。
さいきんなにしてる?
西暦1009年5月23日 紫式部より
卑弥呼:いいかげんにしな。
紫式部:はいッ。
紫式部:あたし、清少納言さま好き。
清少納言:あたしも。
紫式部:あたしもって?
すでに書かれていた文書が何か難しい内容だったら、さっと目を当てるだけだろう。手紙の類だったら、その人の脳は、興味を示すだろう。手紙を貰った人は、最初に書かれた方と、後から書かれた方の両面を見るかもしれない。
そういう時代である。
それゆえ、読者へご報告いたします。
ご報告
枕草子「うれしきもの」に、「人の破り捨てた手紙を継ぎ合わせて見た」と、清少納言さまは記しています。和泉式部さまも紫式部さまも同じ行動をしたにちがいありません。
人の破り捨てたる文を継ぎて見るに、同じつづきをあまたくだり見続けたる。
(枕草子・うれしきもの)→これは私の別ブログからの転載。
=人の(人が)破り捨て(破り捨て)たる(た)文(手紙)を(を)継ぎ(《拾って》つぎ合わせ)て(て)見る(見た《とき》)に(に)、同じ続きを(同じ《手紙の》続きを)数多くだり(数多くの行《を》)見続けたる(元のようにつぎ合わせて、《つぎからつぎに》見続けたの)。
=人が破り捨てた手紙を拾って継ぎ合わせて見た時に、同じ手紙の続きの数多くの行を次から次に見続けたの。
清少納言は、正直に記す人だ。
清少納言はそういう女性なのです。
もしかすると、それは、両面とも手紙だったか。
そうであれば、清少納言は、2通の手紙を読んだはず。
一方は途中で切れていたかもしれないが。
1000年昔の、清少納言・紫式部・和泉式部は何日ごとに風呂をつかったか
兼好法師:あの、あのー、清少納言さま、
清盛:おしえて。
清少納言:はい?
八幡太郎義家:清少納言さまは何日ごとに風呂をお使いになりますか?
紫式部:うるさいッ。
ピタゴラス親分:ワッ。
「おもしろく源氏を読む/角田文衛・中村真一郎/朝日出版社」に、
「女房たちは、十日に一回ぐらい、髪を洗ったり、体を洗ったりするために、里帰りするわけです」と書いてあります。
紫式部も清少納言も和泉式部も女房ですから10日に1回ぐらい実家に帰って、きれいになって、また仕事に復したのです。
「風呂というのは蒸気で、今日われわれが入っているのは湯です。しかし、この蒸気の風呂にはあまり入らなかったんだろうと思います。貴族たちもよその家でお湯の接待にあずかったりしていますね」とも書いてあります。
※角田文衛(つのだ ぶんえい・1913-2008):文学博士。歴史学者。平安博物館館長。「紫式部とその時代」「平家後抄」など著書多数。
※中村真一郎(なかむら しんいしろう・1918-1997):小説家。評論家。「回転木馬」「私説源氏物語」など著書多数。
兼好法師のノミ
そういうことであるから、兼好法師なんかも、ノミだらけだったのかも知れん。
知れん、じゃなくて、その通りだったであろう。あたまにきて、衣類を脱いで、縫い目の、布の重なっている所を、そーっと分けて、ノミを追い求めたであろう。「アッ、逃げたッ」と、騒いだであろう。ノミの跳躍力は物凄いからね。
→「知れん」については、付記参照
付記 「知れん」「知れぬ」について
知れん(しれん)=知れぬ=知れない。
しれぬ=ラ行下二段活用動詞「しる(=知る)」の未然形「しれ」+打消しの助動詞「ず(=…ない)」の連体形「ぬ」
→ぬ:打消しの助動詞「ず(=…ない)」の連体形「ぬ」を終止形として用いたもの。
→「しれん。」「しれぬ。」の「ん」「ぬ」は、終止形として用いている。
→「ん」は、「ぬ」の音が「ん」の音に変化したもの。
あるいは、
しれぬ=ラ行下一段活用動詞「しれる」の未然形「しれ」+打消しの助動詞「ず(=…ない)」の連体形「ぬ」
ぬ:打消しの助動詞「ず(=…ない)」の連体形「ぬ」を終止形として用いたもの。
→「しれん。」「しれぬ。」の「ん」「ぬ」は、終止形として用いている。
→「ん」は、「ぬ」の音が「ん」の音に変化したもの。
「…かもしれん」「…かもしれぬ」の形で用いられる事が多い。
「あ奴の気が知れん」などともいうけれど。
なお、「しれない」は、
しれない=ラ行下一段活用動詞「しれる」の未然形「しれ」+打消しの助動詞「ない」
ついでといってはナンですが、
枕草子「にくきもの」に、清少納言(せいしょうなごん)は記している。
「蚤もいとにくし。衣の下にをどりありきて、もたぐるやうにする」と。
蚤もいとにくし。衣の下にをどりありきて、もたぐるやうにする。
=蚤(ノミ)も(も)いと(ひどく)にくし(憎らしい)。衣(着物)の(の)下(下)に(で)をどり(飛び跳ね)ありき(回っ)て(て)、もたぐる(《着物を》持ち上げる)やう(よう)に(に)する(する)。=ノミもひどく憎らしい。着物の下で飛び跳ね回って、着物を持ち上げるようにするする。
何枚も重ね着しているのだから、ぞぞぞと這い回られたら、たまらんだろうなあ。
和泉式部:♪ランプ引き寄せノンピとりぃ
清少納言:糸の縫い目を剥ぐってみれば~♪
紫式部:♪ノミとシラミが食い下がるぅ♪
ノンピ(nonpi)=ノミ
すこし昔の人はこんな歌をうたっていたのです。地方により、文句が異なるようですが。
和泉式部:ノミ(ヒトノミ)の寸法は、小野小町:シラミ(ヒトジラミ)と同じぐらい。
紫式部:体長2mm位のが地肌を歩いたり着物の縫い目を遡上したりするの。
和泉式部:着物いっぱい着てるんだから。
業平:2ミリぐらいのが着物を持ち上げるんか?
※「上げるんか」の「ん」は、終助詞「の(=…の)」が変化したもの。
上げるんか=上げるのか
かぐや姫:あんたなんかケチ付ける気ね?
シラミといえば、「徒然草第97段 その物につきて」の中で、兼好法師は、こう記している。
徒然草第97段 その物につきて
その物につきて、その物を費やし損ふ物、数を知らずあり。身に虱あり。家に鼠あり。国に賊あり。小人に財あり。君子に仁義あり。僧に法あり。
=そ(そ)の(の)物(物)に(に)つき(取り付いて)て(て)、そ(そ)の(の)物(物)を(を)費やし(疲れ弱らせ)損ふ(衰えさせる)物(物が)、数を知らず(数え切れないほど)あり(ある)。身(人の体)に(に)虱(シラミが)あり(いる)。家(家)に(に)鼠(ネズミが)あり(いる)。国(国)に(に)賊(盗賊が)あり(いる)。小人(徳の無い者)に(に)財(財《たから》が)あり(ある)。君子(君子)に(に)仁義(仁義が)あり(ある)。僧(僧)に(に)法(法が)あり(ある)。
=その物に取り付いて、その物を疲れ弱らせ衰えさせる物が数え切れないほどある。(少し例をあげれば)人の体にシラミがいる。家にネズミがいる。国に盗賊がいる。徳の無い者に財がある。君子に仁義がある。僧に法がある。
光秀:こら、弾正久秀、
光秀:和泉式部さまに電話して今何してるか聞いてくんない?
弾正久秀:あのあのもしもし、
弾正久秀:和泉式部さま、
和泉式部:いはいは。
弾正久秀:紫式部さまについていますシラミでございますが、
小野小町:もう、べらぼうに居るわよ。
和泉式部:まいにち梳き櫛で梳(す)いて取ってるの。
秀吉:髪の毛は床に着くほど長いの。
弾正久秀:ののの、
紫式部:いいのいいの。
清少納言:飼うよりほかにないの。
まわりの者が櫛で梳きながら指先で取ったのでしょうか。
梳き櫛の歯にシラミを浮かせながら、素早く爪先で潰したのかも知れない。
取りきれるものではないけれど。
一梳きごとにぞろぞろ現れたりして。
和泉式部:なんね、あんたは。
清少納言:あたしたちにナニを言うの。
紫式部:アッチ行けーっ。
はーっ。
紫式部の調度の何とさっぱりしていることか
兼好法師は、「いやしげなるもの。居るあたりに調度の多き。硯に筆の多き。…」といった。
次に示すのは紫式部の肖像と調度である。
紫式部の肖像と調度
出典:歴史参考集古図譜 好古社出版部編 青山堂〔ほか〕 明治39年12月 国立国会図書館近代デジタルコレクション インターネット公開(保護期間満了)
図の中には、鏡たてと硯函(硯箱)と几帳(きちょう=ついたて)があります。
弾正久秀:読み書きする机がどこかにあるはずだけど。
紫式部:この絵を描いた人が描かなかったの。
簡潔な身のまわりです。
現代人のドタマはいかれているのかもしれん。
→「いかれている」については、付記「いかれる」「いかれて」「いかれている」についてを参照
いくらでも質素になれるということです。
シラミやノミなんか目じゃない。
付記 「いかれる」「いかれて」「いかれている」について
※いかれる(行かれる):ダメになる。おかしくなる。パア(pa・a)になる。故障する。いかれる=ラ行下一段活用動詞「いかれる」の終止形
いかれ=ラ行下一段活用動詞「いかれる」の連用形
いかれて=ラ行下一段活用動詞「いかれる」の連用形「いかれ」+接続助詞「て(=…て)」
いかれている=ラ行下一段活用動詞「いかれる」の連用形「いかれ」+接続助詞「て(=…て)」+補助動詞「いる(…《て》いる)」
あるいは、
いかれている=カ行五段活用動詞「いく」の未然形「いか」+受身の助動詞「れる」の連用形「れ」+接続助詞「て」+補助動詞「いる(…《て》いる)」とみることもできる。
(注)
(1)上記の「いかれる」は、「行くことができる」の意味の「行かれる」ではありません。
(2)「行くことができる」の意の「行かれる」は次の通り。
いかれる=カ行五段活用動詞「いく」の未然形「いか」+可能の助動詞「れる」の終止形「れる」
「ケチケチ+物を買わない」=普通の人にとっちゃ、金のたまる道
ヒトが何か買うのを横目に見て、アハハと冷笑し、物を買わないでいれば、お金は溜まる一方だ。
八幡太郎義家:そうはいっても、支出=ゼロでは、タマッタモノデハナイから、これだけ買えば死なない、健康だけは保持できる、という物だけ買う。
アサドラマンガン:出さないのだから出て行けないよ。
タイガードラマン:がめようと思わないでも、お金は居つくわよ。
※がめる:「がめる」は、色々な意味で用いられるが、ここでは「ためこむ」。
「ケチケチ+物を買わない」は、普通の人にとっちゃ、金のたまる道です。
自営したり会社に通ったりして何がしかのお金は稼ぐ、健康を維持するだけの出費はいとわないが、それ以外はケチりまくる、徹底して物を買わない、ということです。
ああ、そんなことをみんながしだしたら、世の中は回るのだろうか。
知ったことか、と抜かして、ためこむ、
と、どうなるか、
お金は腐るのではないかしら。
今参局:腐ったらどうなるかしら?
かぐや姫:知らん。
ステラクソ:兼好法師だってそれだけは用意していたのですわ。
トンカ:土地だって買っていたし。
兼好法師:手元に何かの時のお金があればひとまず安心するのであります。
兼好法師:やっぱりね、栄養だけはしっかり取らなくちゃいかん。
信長大殿様:はあ。
ノンピ:歯も磨かんといかん。
兼好法師:清少納言さまあ、
和泉式部:なあに?
兼好法師:たすけてえ。
こんなに持っていたら安心だ。↓
身後堆金拄北斗、不如生前一樽酒。
(白氏文集・勧酒)
=身(身の)後(後に)堆金(金をうずたかくして)拄北斗(北斗七星を支えたとしても)、不如(に及ばない)生前(生前の)一樽酒(一樽の酒)。
=死んだ後に、黄金をうずたかく積んで、北斗七星を支えたとしても、生きている間の一樽の酒に及ばない。
白氏文集(はくしもんじゅう):白居易の詩文集。
白居易(はくきょい・772-846)=白楽天(はくらくてん)
小野小町は西暦800年代前半に生まれたと推定される。
在原業平(ありわらのなりひら)は、825-880。
地球から北斗七星までの距離は?
おおぐま座(略符:UMa 学名:Ursa(e) Major(is))の七つ星(北斗七星)、α(アルファ)星・β(ベータ)星・γ(ガンマ)星・δ(デルタ)・ε(エプシロン/イプシロン)星・ζ(ゼータ/ジータ)星・η(エータ/イータ)星ののうち、
δ星(δ Ursae Mmajoris/δ Uma)を除く6つの星から地球までの距離は次の通り。
地球からの距離(光年)
おおぐま座α星(α Ursae Majoris /α UMa)まで=70光年
おおぐま座β星(β Ursae Majoris /β UMa)まで=70光年
おおぐま座γ星(γ Ursae Majoris /γ UMa)まで=60光年
おおぐま座ε星(ε Ursae Majoris /ε UMa)まで=60光年
おおぐま座ζ星(ζ Ursae Majoris /ζ UMa)まで=70光年
おおぐま座η星(η Ursae Majoris /η UMa)まで=150光年
※「理科年表 国立天文台編 1999年」を参考にしたものです。
最新の理化年表ではありません。
光が1年間に進む距離(1光年)≒9兆4600億キロメートル
宇宙は底なしに見えるから、こんなものバイキンのフンにもならないムード♪
宇宙はどうなっているのだろう!
人間の腸内の細菌数は?
人間の腸内の細菌数は100兆個にも及ぶという。
こちらは人間の腸ですからね。
大きさに限りがある。
腸の中身をみんなかき集めたって僅かなものだ。
そんな狭い容器の中に、100兆いる、といわれると感心する。
(2016年春の世界人口≒73億)
報道発表資料 2014年7月11日 理化学研究所 「腸内細菌叢と免疫系との間に新たな双方向制御機構を発見」のなかの「背景」という項目に、
「ヒトの腸管内には500~1000種類、総数100兆個にも及ぶ腸内細菌が共存しています。これら細菌が腸管免疫系を適切に制御することで私たちの健康が維持されています」
と、書いてあります。
報道発表資料 2011年1月27日 理化学研究所 「独自の代謝動態解析法で微生物間相互作用を追跡」のなかの「補足説明」という項目には、「糞便のうち、約半分が腸内細菌またはその死骸であるといわれている」と書いてあります。
極大世界にしろ極小世界にしろ、
そういう世界を思えば思うほど、ワレは見る間に小さくなり、気はぐーんと膨らむ、勇気がわく。
2010/08/06 18:50 撮影
3、兼好法師が作った「徒然草第72段 賎しげなるもの」を、1語も逃さず品詞分解し現代語訳する
古文の1語1語訳は日本語習得に役立つ。
古文から経営のヒントを得る。
本文「いやしげなるもの。居るあたりに調度の多き。硯に筆の多き。持仏堂に仏の多き。前栽に石・草木の多き。家の内に子孫の多き。人にあひて詞の多き。願文に作善多く書きのせたる。多くて見苦しからぬは、文車の文、塵塚の塵」を小分けして品詞分解し1語1語現代語訳する。
いやしげなるもの。
※いやしげ:〔名詞〕いやしげ。下品な様子。さもしい様子。
「いやしげ」は、形容詞「いやし」に、接尾語「げ(気)」がくっついて、名詞化したものとみなせる。
いやしげ=形容詞(シク活用)「いやし(=いやしい・下品である・さもしい)」の終止形「いやし」+接尾語「げ(=…げ・…様子)」
※なる:断定の助動詞「なり(=…である)」の連体形。
※もの(物・者):〔名詞〕もの。
いやしげなるもの。
=いやしげ(下品な様子)なる(である)もの(もの)。
=下品な様子であるもの。
=下品なもの。
居るあたりに調度の多き。
※居る(ゐる・いる):ワ行上一段活用動詞「居る(=座っている)」の連体形。
「ゐる」は、歴史的仮名遣い。
「いる」は、現代仮名遣い。
連体形とは、連体(体言に連なる)形(活用形)。
体言とは、名詞(数詞・代名詞を含む)のことである。
そういうことで、「居る」の下に、適当と考えられる名詞形の語を補う。
ここでは「ところ」「場所」などを補う。
→連体形「居る」の下に、名詞形の語が省略されているとして訳す。
※あたり(辺り):〔名詞〕あたり。そば。付近。その人に近いところ。
※に:〔格助詞〕…に。
この「に」は、場所を表す。
格助詞(かくじょし)は、体言や体言に準ずる語の下に付いて、その体言と他の語との関係(つながり)を示す助詞である。
体言(たいげん)=名詞(代名詞・数詞を含む)
格助詞には、主格・連体修飾格(連体格)・連用修飾格(連用格)などがある。
※調度(てうど・ちょうど):〔名詞〕調度品。手道具。手回りの道具類。
※の:〔格助詞〕…が。
この「の」は、主格を表す。
「調度の(=調度品が・手回り道具類が)」は、主語である。
※多き(おほし・おおし):形容詞(ク活用)「おほし(=多い)」の連体形。
「多き」は、「多い」の連体形である。
連体形とは、連体(体言に連なる)形(活用形)。
体言とは、名詞(数詞・代名詞を含む)のことである。
そういうことで、「多き」の下に、適当と考えられる名詞形の語を補う。
ここでは「こと」を補う。
「調度の多き」は、連体形「多き」で止めて、下の名詞形の語を省略したものである。
→「居るあたりに調度の多き」は、「居る(所)あたりに調度の多き(こと)」の意。
もっと詳しくすれば、「居るあたりに調度の多き(こと)(なり)」になる。
「多き」の下に、「こと(=こと)なり(…である)」が省略されているともいえる。
「なり」は、断定の助動詞「なり(…である)」の終止形。
居るあたりに調度の多き。=居る(座っている《所》)あたり(辺り)に(に)調度(手回り道具類)の(が)多き(多い《こと》。
=座って居る所の辺りに手回り道具類が多いこと。
=身の回りに調度品が多いこと。
硯に筆の多き。
※硯(すずり):〔名詞〕硯。硯箱。
※に:〔格助詞〕…に。※筆(ふで):〔名詞〕ふで。
※の:〔格助詞〕…が。この「の」は、主格を表す。
※多き(おほし・おおし):形容詞(ク活用)「おほし(=多い)」の連体形。
硯に筆の多き。
=硯(硯箱)に(に)筆(筆)の(が)多き(多い《こと》)。
=硯箱に筆がたくさんあること。
持仏堂に仏の多き。
※持仏(ぢぶつ・じぶつ):〔名詞〕〔名詞〕身の回りに安置して信仰する仏像。
※持仏堂(ぢぶつだう・じぶつどう):〔名詞〕信仰する仏像や先祖の位牌を安置する所。仏間。
※に:〔格助詞〕…に。
この「に」は、場所を表す。
※仏(ほとけ):〔名詞〕仏像。
※の:〔格助詞〕…が。この「の」は、主格を表す。
※多き(おほし・おおし):形容詞(ク活用)「おほし(=多い)」の連体形。持仏堂に仏の多き。
持仏堂に仏の多き。
=持仏堂(仏間)に(に)仏(仏像)の(が)多き(多い《こと》)。
=仏間に仏像が多いこと。
前栽に石・草木の多き。
※前栽(せんざい):〔名詞〕庭の植え込み。庭。
「せんざい」と読む。
※に:〔格助詞〕…に。
この「に」は、場所を表す。
※石(いし):〔名詞〕石。ここでは「庭石」の意。
※草木(くさき):〔名詞〕草木。
※の:〔格助詞〕…が。この「の」は、主格を表す。
※多き(おほし・おおし):形容詞(ク活用)「おほし(=多い)」の連体形。
前栽に石・草木の多き。
=前栽(庭の植え込み)に(に)石(庭石や)草木(草木)の(が)多き(多い《こと》)。
=庭の植え込みに庭石や草木が多いこと。
家の内に子孫の多き。
※家(いへ・いえ):〔名詞〕家。
※の:〔格助詞〕…の。
この「の」は、連体修飾格(れんたいしゅうしょくかく)を表す。連体格(れんたいかく)ともいう。
「子孫の多き」では、ぼやけて、事情を知らない人にはわからない。
「内に子孫の多き」でも、やはり説明不足である。
「家の内に子孫の多き」なら、「子孫の多き」を、一層はっきり限定して説明できる。
そういうことで、この「の」は、連体(下の体言「内」に連なって)修飾(その「内」の範囲を狭めることができる)格(資格)を表す。
※内(うち):〔名詞〕内。中。
※に:〔格助詞〕…に。
この「に」は、場所を表す。
※子孫(しそん):〔名詞〕子孫。子や孫。※の:〔格助詞〕…が。
この「の」は、主格を表す。
※多き(おほし・おおし):形容詞(ク活用)「おほし(=多い)」の連体形。
家の内に子孫の多き。
=家(家)の(の)内(中)に(に)子孫(子孫)の(が)多き(多い《こと》)。
=家の中に子孫が多いこと。
人にあひて詞の多き。
※人(ひと):〔名詞〕人。※に:〔格助詞〕…に。…と。
この「に(=…に・…と)」は、動作の対象を表す。
※あひ(会ひ・逢ひ・あい):ハ行四段活用動詞「あふ(=あう・出会う)」の連用形(れんようけい)。
※て:〔接続助詞〕…て。
※詞(言葉・ことば):〔名詞〕言葉。
※の:〔格助詞〕…が。
この「の」は、主格を表す。
※多き(おほし・おおし):形容詞(ク活用)「おほし(=多い)」の連体形。
人にあひて詞の多き。
=人(人)に(に)あひ(会っ)て(て)詞(言葉)の(が)多き(多い《こと》)。
=人に会って言葉が多いこと。
=人と会って口数が多いこと。
=人と会った時にぺらんぺらんくっちゃべって口数が多いこと。
願文に作善多く書きのせたる。
※願文(ぐゎんもん・がんもん):〔名詞〕神仏に願いを経てる時に、願意を記した文。仏事を行う時に、施主の願意を記した文。
→何か願って言おうとしていること。願いの趣旨。
※に:〔格助詞〕…に。
※作善(さぜん):〔名詞〕自分がした善い行為。自分が作(な)した善い行為。
※多く(おほく・おおく):形容詞(ク活用)「おほし(=多い)」の連用形。
※書き載せ(かきのせ):サ行下二段活用動詞「かきのす(=書き記す・記載する・掲載する)」の連用形。
※たる:存続・完了の助動詞「たり(=…てある・…ている・…た)」の連体形。
連体形とは、連体(体言に連なる)形(活用形)。
体言とは、名詞(数詞・代名詞を含む)のことである。
そういうことで、「たる」の下に、適当と考えられる名詞形の語を補う。
ここでは「こと」を補う。
願文に作善多く書きのせたる。
=願文(願いの趣旨)に(に)作善(自分がした善い行為を)多く(多く)書きのせ(書き記し)たる(ている《こと》)。
=願いの趣旨に自分がした善い行為を多く書き記していること。
多くて見苦しからぬは、文車の文、塵塚の塵。
※多く(おほく・おおく):形容詞(ク活用)「おほし(=多い)」の連用形。
※て:〔接続助詞〕…ても。…にもかかわらず。
この「て」は、逆接の確定条件を表す。
逆接(ぎゃくせつ)とは、上に述べることと、下に述べることとの間に、一致しない関係があること。
※見苦しから(みぐるしから):形容詞(シク活用)「みぐるし(=見苦しい)」の未然形。
未然形とは、
未(み):まだ…していない。
然(ぜん):そうである。
未然(みぜん):事が起こっていないこと。まだそうなっていないこと。
未然形(みぜんけい):ある事態が未だ起こっていないことを表す形。まだそうなっていないことを表す形。
※ぬ:打消しの助動詞「ず(=…ない)」の連体形。
連体形「ぬ」の下に、「の」「もの」などを補う。
※は:〔係助詞〕…は。
見苦しからぬは:見苦しくないのは。
※文車(ふぐるま):〔名詞〕室内で書籍などを運ぶのに用いる板張りの小さな車。
※の:〔格助詞〕…の。
この「の」は、連体格を表す。
※文(ふみ):〔名詞〕書物(しょもつ)。
※塵塚(ちりづか):〔名詞〕ゴミ捨て場。
※の:〔格助詞〕…の。
※塵(ちり):〔名詞〕ゴミ。
「塵」には、「ほこり」「よごれ」「けがれ」「値打ちの無いもの」などの意味もあるが、ここでは「ゴミ」の意。
多くて見苦しからぬは、文車の文、塵塚の塵。
=多く(多く)て(ても)見苦しから(見苦しく)ぬ(ない《の》)は(は)、文車(文車)の(の)文(書物)、塵塚(ゴミ捨て場)の(の)塵(ゴミ)。
=たくさんあっても見苦しくない物は、文車の書物とゴミ捨て場のゴミである。
ケンコーホーシのベロ 作成:筆者
兼好法師:もうあたまにきた。
鴨長明:ベロの影がない。
兼好法師25歳 作成:筆者
漫画右上「アーアー」の字の上の円形は機関車です。
みなさま
どうぞよろしくお願いします。
なのはなみち
兼好法師27歳 作成:筆者
以上